タクシーでのお話し
また会うかわからない人と話すと、素直に気づけることがあります。
ある日の帰り道、電車の運転が見合わせに。早く帰って、山積みの本を読みたかったのに、運が悪いなと肩を落とす。さて、どうしよう。
こういう突然の事態は焦らないように心がけ、今の状況を冷静に整理する。歩いて帰るには道のりは遠いし、仕事終わりの体力は底をついていた。となると、タクシーで帰るのが最善の選択。臨時の出費は痛いけど、時は金なり。仕方がないと自分に納得させる。
でも、タクシーはあまり好きじゃない。ドアが開いた時の、香水なのか、お香なのか、よくわからない独特の臭いが苦手。そのせいで酔ってしまうことがある。今はマスクをしているので、少しは我慢できそうだけれど、無臭なことに越したことはない。
行列のタクシー乗り場を横目に、駅から近い大通りに行く。乗り場に向かう手前でタクシーを捕まえる方が効率いい。なんて効率がいいんだ!と自惚れる反面、横取りして、姑息な人間になっているようで自分を蔑む。あぁ、たぶん疲れているのだろう。
効率が良いといっても、赤い空車の二文字を見つけるのは労力がいる。遠くから近づいてくる車に一台ずつに視線を送り、頭の片隅では、見つけた後に誰かに盗られないか、交通法上、停車しても大丈夫な場所か。必死さと余計な思考が空回りして、ピントが外れそうになる。そのバランス保っていると、思ったよりも早くタクシーを捕まえることができた。シートに身を投げるように寄りかかり、行き先を伝える。これで、家に帰れる。
タクシーに乗ると運転手さんと話して過ごすことが多い。スマホや本を見たいけど、文字を読むと気分が悪くなる。何もしなくてもいいのだけど、支払い額が偉いことにならないか警戒してしまうと、眠りにつけない。
運転手は、70歳くらいの白髪の男性。歳の割りにハキハキと若々しく、穏やかで清潔感がある。話しやすそうな人だと思い、少し気になっている質問をする。たとえば、運転手さんがよくする独自の近道パフォーマンスについて。そのルートはコースのように、概ね決まっているのか。曰く、この界隈の運転手さんと近道の情報交換したりするけれど、人の感覚で近いかどうか違うので、決まった道はないということだった。
「長年の経験で、行き先を言われたら、大体どこの通りを走れば着くか、ルートが頭の中にあるんですよ。走っていると、近道がわかるようになるんです。昔はカーナビとか、なかったですからね〜。お客さんに知らない場所を言われたら、地図を開いて道を調べながら運転していました。それで目的地の近くになったら、お客様にどこら辺ですか?って聞いて、助けていただいてました。」
面白そうに懐かしいお話しをされていたけど、きっと当時は苦汁だったのだろうと思う。その人がどんな経験をしてきたのかという話は、自分の人生のヒントになったりするので楽しい。
「本当はタクシーの中にクレジットカードとか電子マネーの機械をつけたくないんですど、そういう時代ですからね〜。タクシーの運転手も、今はカーナビがあるから誰でも簡単になるようになりましたね。」
車内はよくある運転席というより、少しアンティーク調のカントリーのような印象で、お気に入りのこだわりがあるように見えた。
聞いていると、歳を召しても時代の流れに柔軟で、変わろうとしている姿がすごいなと思った。今思うと、小さい頃から色々な人の人生談を聞いておけばよかったと、少し後悔しているところもある。特に、会う回数が少なかった祖父の話。もっと聞きたかったな。この人のお孫さんが羨ましい。
少し甘えたい気持ちで小さな相談をしたりする。
「免許は持っているんですけど、全然運転していなくて。車でいろんなところに出掛けたいんですけど、怖くて踏み出せないんです。どうしたらいいですかね?」
「そりゃ、やってみないとですね。」
そうですよね。頭の中ではわかっていたけれど、聞くたびにハッとする言葉。きっと、この運転手さんもそうやって、いろいろやってみて、たくさんの山を乗り越えてきたんだろう。
また会えるかわからない、会ったとしても覚えていないタクシーの運転手さん。その人の人生はどんなものだったのかなと、また深く聞いてみたくなる。わたしの人生も歳を取ったら、誰かに楽しそうに話せる道を歩いていこうと思いました。
Yuka.N