日本におけるインテリアの歴史、 公共機関によって浸透したインテリアという言葉

日本におけるインテリアの歴史、 公共機関によって浸透したインテリアという言葉

普段私たちは、室内空間などについて考えるとき「インテリア」という言葉を日常的に使っています。しかし、日本においてこの言葉が浸透し、きちんとした価値を持って使用されるようになったのはごく最近のこと。

日本におけるインテリア業界の歴史をお伝えします。

 

日本の生活と家具

昭和40(1965)代以前、家具など現在インテリア業界に属する産業の地位はとても低いものだったといえます。それには、家具などのインテリア部品が日本での暮らしに必要不可欠ではなかったため、盛んになってこなかったことが背景にあると考えられます。

日本の伝統的な家屋は、布団だけで成立するが敷かれ、しっかりとした収納力を誇る押し入れ、飾り物のためには床の間が存在します。土足で過ごし、大きな空洞の箱のようなイメージを持つヨーロッパなどの暮らしと比べると、必要な家具やインテリア部品は少なかったのです。一般庶民が持っているものといえば、タンスちゃぶ台水屋下駄箱ほどであったといいます。

しかし、家具やテキスタイルなどのインテリア的な文化がなかったわけではなく、美術工芸として栄えていました。技術力も高く評価されていましたが、貴族などの上流階級の人々のためのものといった認識が広くありました。

 

「インテリア」という言葉

日本において、インテリアという言葉が使われて浸透するまでには時間がかかりましたが、木材工芸科をインテリア科と改名したことが広まるきっかけとなります。

木材工芸科というのは、戦前の主流であった木製家具製作の教育機関として、全国各地の工業高校のなかに50校ほどあった学科です。戦後、志望生徒が激減したため頭を抱えていた文部省は、学科名を改めるという策をとります。そのころにテキスタイル業界で使われ始めていた「インテリア」という言葉を採用し、インテリア科と学科名を改めることで、女子生徒が増えるなど賑わいを取り戻す結果となりました。これを受けて通商産業省(現経済産業省)は、インテリアという言葉を取り入れる事とします。それまで、照明や、壁装、寝具、家具など13業種を、それぞれを指導してきた「雑貨課」から「インテリア課」へと呼び名を変えるとともに、各々対応するのではなく、それらを大きく統括する方針へと変えて活性化を図りました。

片仮名を官庁用語として用いることに抵抗を示していた通産省は、それ以前の昭和30(1955)年代に「デザイン」という言葉を認め、デザイン課を立ち上げています。戦前の日本ではデザインのことを「図案」、戦後は「意匠」と呼んでいました。

 

インテリアの浸透とトータルインテリア

インテリア課として新たな名称をもった、産業グループの振興を図るために、昭和48(1973)年に、インテリア産業振興対策委員会が設置されます。

48(1973)年度には、委員会から「インテリア産業の現状」についての報告書が提出されました。企業の現状が、生産・流通がともに縦割りで、相互の繋がりを持たない構造によって、今後の需要の変化と多様化に対応が難しいことを問題視しています。続いて49(1974)年度には「インテリア産業のビジョン」をテーマに、産業活動の協同化・組織化を目的として、産業中核の育成を行うことを推奨しています。

51(1976)年度には、トータルコーディネートに関する提案を行っています。住空間は、相互関連のないエレメントを寄せ集めるのではなく、総合的なシステムを持つことで向上する、といった内容です。通産省は、多額の補助金を出して、住宅展示場や見本市会場にてトータルインテリアショウを行い、この考え方の普及を図りました。また、この流れによって業界同士も相互に連携を持つようになり、48(1973)年の報告書で問題となっていた、相互の繋がりが生まれるようになります。52(1977)年度には、産業振興のために大規模なインテリアの総合市場である「インテリアマート」をそれぞれの地域に合わせた工夫のうえで実現するべきだと唱えました。これを受けて、アメリカのインテリアマートに見学に行く団体が増えたため、特にデパートなどにトータルインテリアを心がけた展示へと変化が見られるようになりました。

 

54(1979)年の報告書には、トータルインテリアのコーディネーションに関連して、豊富な知識を持つ専門技術者として必要性を説いています。ここから、インテリアの流通の専門家「インテリアコーディネーター」、設計の専門家「インテリアプランナー」という資格へと繋がっていきます。大規模な空間などのインテリアの設計を専門とする人材を確保するため、インテリアプランナーという資格制度が始まり、インテリア産業の分野で活動する人の地位が高く認められるように変化してきたのです。

 

建築と家具

上でも記しましたが、従来から家具などインテリアは著しく低い地位に見られていました。家具は高級人が使うもので「工芸品」、現在家具と呼ばれている一般庶民が使うようなものは「雑貨」という概念で捉えられていました。

そのような考え方が横行した理由の1つに、国の規則の影響が挙げられます。当時、建物を建てるうえで、「建築物(動かないもの)」には補助金が出て、「家具(動くもの)」はその対象外となっていました。学校などを例にとっても、校舎の建築には補助金が出ますが、壁より中である机、椅子などの家具には出ないため、地方自治体が安物で間に合わせようと考えられていたのです。このような流れも、安物の机や椅子は、家具ではなく雑貨、校長にある立派なものだけが家具という認識が強まる原因になったと考えられます。

他の例としても、郵便局公衆室の大きな大理石の机が、埋め込み式であったという話があります。可動式の机であれば用度課の管轄になってしまうため、埋め込み式にして建築物とみなし、高級で質の良いものをしつらえるという方法もとられていました。

 

このように、かつては建築の地位は高く、家具などインテリアの地位は低く考えられていた流れがありますが、本来はそのように考えられるべきではありません。インテリア産業振興対策委員会や、インテリア産業協議会(現在のインテリア産業教会)を含むさまざまな人々の努力によって、インテリアに対しての意識が変わってきたのです。

 

建築と比べるとより近い場所に位置する家具。よりきめ細やかに設計され、大切に考えられる必要があるのです。

技術の進歩などによってさまざまな種類や印象のものが存在し、さらにそれをオンライン購入が可能できたり、オーダーメイドの家具も庶民の生活に取り入れることが可能になるなど、インテリアの選択肢が沢山あるといえます。自分の体格や暮らしぶり、空間のコーディネートなど大事にするポイントをおさえ、適切に選択することが大切です。

  

 

 

参考文献

『新装インテリアの人間工学』監修  小原二郎, 著 渡辺秀俊, 岩澤昭彦, ガイアブックス