曲木椅子を生み出したミヒャエル・トーネット
様々な場所で目にする曲木椅子。
18世紀半ば、曲木技術を生み出したトーネットによって作られたその椅子は、今でも活躍し、色褪せずに使われ続けています。まずは、トーネットという人物について、大まかにとらえていきます。
ビーダーマイヤー様式の家具製作を行った
1796年、現在のドイツのライン川西岸に位置するボッパルトで生まれた、ミヒャエル・トーネット。なめし皮職人である父によって、10歳になった頃に家具職人へ弟子入りすることとなります。当時、フランスの上流階級ではアンピール様式の家具が流行していましたが、その影響を受けながらも、ドイツでは簡素で実用的なビーダーマイヤー様式の家具製作に精を出しました。
曲げ合板の技術開発へ
緩やかな曲線が多用されている、ビーダーマイヤー様式の家具。その表現として一般的に行われていたのは、安い木材を削り出してカーブを付け、それを一枚一枚張り合わせた後に、マホガニーなどの高級材を貼って仕上げる方法です。ミヒャエルは、手間と時間を減らして、効率的に木を曲線に仕上げるため、曲げ合板(現在の成形合板の原型)の製法を考え出しました。
トーネットは、曲げ合板(次記事にて紹介)の技術を1830年頃にはほぼ完成させます。作業の効率化だけではなく、これまでの方法では不可能であったラインの実現を可能にし、デザインの面でも評価を受けました。1841年には、オーストリア、フランス、イギリスなどで特許申請も行っています。
その後、ミヒャエルは1839年のウィーン博覧会を皮切りに、積極的に見本市や博覧会に出展し、大きな成果を得ていました。1841年のコブレンツ(ボッパルトから北へ約20km)での博覧会では、オーストリア・ハンガリー宰相のメッテルニヒ(ウィーン会議主宰者)と出会っています。ミヒャエルの技術に関心を示したメッテルニヒが、ウィーンで仕事をすること勧めたことがきっかけとなり、1842年には、一家でウィーンへ移住。リヒテンヒュタイン宮殿の寄木細工の床工事や椅子製作を手がけるなど、様々に活躍しました。
無垢材の曲木技術開発へ
ミヒャエルは、ウィーンで仕事をこなしながら、新しい曲木の技術開発にも着手します。様々な試行錯誤を経て、厚い無垢材を曲げる技術(次記事にて紹介)を完成させました。
1849年、ウィーン市内のカフェ・ダウムから発注を受けた椅子の製作では、その技術を活かしてダウム・チェアを仕上げました。優雅で美しいデザインに加え、軽くて丈夫なこの椅子は、6つの部材で構成されたため製作コストも抑えられています。この椅子は、後に製造番号No,4として定番商品となり、トーネットの曲木椅子の基本形になります。
1851年のロンドン万博では、椅子やテーブルを出品し銅メダルを受賞したミヒャエル。これがきっかけとなり、「トーネットの椅子」が多くの人に評価され、広く知られるようになりました。
トーネット社の設立
1853年には、「トーネット兄弟会社」を設立。5人の息子たちと業務分担しながら、会社を発展させていくことになります。ビーチ材を入手しやすい各地の山間部に工場を置き、生産量を増やしていきます。
1851年には、名作No.14の椅子を発表するなど、数多くの椅子を生み出しました。
1871年に75歳で亡くなるまで、家具職人としてだけではなく、経営者としての才覚を発揮しました。
自然な流れで、量産化や新しい技術へ取り組み、多くの人に活用される家具を生み出したトーネット。曲木技術やデザインだけでなく、生産体制、販売促進など様々な面で新しい動きを示し、近代に大きな影響を与えています。
彼の生み出した曲木技術や、それを用いた椅子について、次以降の記事にて触れていきます。
参考文献
『歴史の流れがひと目でわかる 年表・系統図付き 新版名作椅子の由来図典』西川栄明, 誠文堂新光社
『THONET classic furniture in bent wood and tubular steel』Alexander von Vegesack, St.Martin's Press
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トーネットをテーマにした回です。よろしければぜひご覧ください。