日本でダイニングが生まれた歴史
今では、ダイニングテーブルで家族と食事をしたり、友人と集まっておしゃべりしたりすることが日常になっていますが、和式から洋式になるまで、そのスタイルがどのように日本で確立したのか、歴史を遡ってご紹介します。
昔の食事の様子
もともと日本の生活様式は、床に座って過ごす床座式の生活でした。
平安時代、身の回りのもの小物や道具を調度(ちょうど)といい、食事をするときは、衝重(ついがさね)、懸盤(かけばん)などの台に乗った料理がひとりひとりに出されていました。これが「銘々膳」という食事の様式につながり、「箱膳」ともいいます。旅館の食事とか、宴会の席とかの和室でご飯を食べる時に出てくるものというと想像しやすいかもしれません。
この文化は、貴族や武士などの人たちとの上下関係が厳しく、階級の違う人たちと、分けて食事をしていたそうです。
明治時代に取り入れられた西洋家具
ダイニングという概念が生まれたのは、明治時代といわれています。
1867年の大政奉還後、政府は、イギリス、オランダ、アメリカなどの近代国家になることを目指し、日本に洋風の家具を導入しました。そこから、いす座式を取り入れられるようになり、和と洋が合わさった生活スタイルが始まります。
そこで、明治時代の中頃に普及してきたのが「ちゃぶ台」です。
日本文化の伝統に入る和家具。この「ちゃぶ台」によって、家族が一つのテーブルを囲んで食事をするという習慣が始まりました。庁舎や学校などの建物も洋風になり、新しい生活様式が全国的に広がっていきました。
その一方で、家具の生産は少なく、はじめは外国で作られたものを修理しながら、西洋の様式を模倣し、少しずつ作られるようになりました。
ですが、そのような暮らしは、公爵や伯爵などの上流階級しか取り入れることができず、庶民の住まいはというと、江戸時代とあまり変わらない暮らしが続き、西洋化したのは明治の末期ごろのことです。
その頃から、暮らしに合理性や機能性が注目され始めます。
なぜかというと、和洋折衷の生活スタイルでも、部屋を仕切る間仕切りが襖で、当時はプライバシーが保たれていませんでした。そのため、大正時代の中頃には、住宅改善運動という、1)プライバシーの尊重、2)接客本意から家族中心、3)台所の改良という3つを目的にした取り組みが盛んになりました。
第二次世界大戦によって失われた住まい
ですが、第二次世界大戦で日本は焼け野原になり、戦後は住む家がなくなってしまいました。
政府は、住宅不足を解消するために、公営住宅法が制定し、コンクリート造のアパートが建てられていきました。
部屋の様式は、椅子に座り、ダイニングテーブルで食事をする場所とベッドで寝る場所を別にし、家族の規模によって住まいを選べるような「51C型(2DKプラン)」が採用されました。
それが、現在の「n+LDK構成」の基礎になり、現在のダイニングという空間が日本で確立されました。
集まる場所としてのダイニングテーブル
畳に座って、ひとりひとり食事をするかたちから、椅子に座って誰かとテーブルを囲むようになったように、時代によって、暮らしのスタイルがどんどん変化していくのがわかりますね。
どのように過ごすのか、どのように過ごしたいのか、選択の自由があることは、とても素敵なことだと思います。
それぞれの時間の過ごし方が違う多様性のある時代で、タイミングが合わなくて、ひとりで食事をすることもあると思います。ダイニングテーブルは、そんな家族や友人が自然と集まって、会話が弾む場所になるといいですね。
参考文献
インテリア産業協会 (2013). インテリアコーディネーターハンドブック上 公益社団法人インテリア産業協会