北欧家具の有名デザイナー ボーエ・モーエンセン

北欧家具の有名デザイナー ボーエ・モーエンセン

北欧デザインの全盛期を支えたデザイナー、ボーエ・モーエンセン。

高級木材を用い、家具職人によるハンドメイドで作られる質の良い家具は、中〜上流階級の人々に受け入れられていました。そんな中、ボーエ・モーエンセンが庶民にも受け入れられる家具をデザインしたことは、大きな功績となっています。どのような考えのもと、生み出されたのかをみていきます。

 

ボーエ・モーエンセンが生まれたのは、1914年・デンマークユトランド半島のオルボーの街。木材や家具の産地だったこともあり、若い頃から木工に興味を持ち、16歳で地元の木工職人に弟子入り、20歳で木工マイスターの資格を取得しています。

モーエンセン21歳の1935年、家族で首都コペンハーゲンへと引っ越します。コペンハーゲンは当時、キャビネットメーカーズギルド展という家具職人組合による家具見本市や、ハンドクラフト製品の常設展示場であるデンパルマネンテによって盛り上がりを見せていました。モーエンセンは、コペンハーゲン美術工芸学校に入学し、職人としてのスキルだけでなく、本格的な家具デザインの勉強を開始しました。ここでは、よき友人かつライバルとなるハンスJ ・ウェグナー、後に妻となる女性アリス、生涯の交流を持つ事になる2人と出会っています。

卒業後は、デンマーク王立芸術アカデミー家具科に進学。恩師となるコーア・クリントと出会います。クリントの提唱する過去の様々な家具の応用や数学的アプローチに基づく家具デザインの方法論を学び、在学中にクリントとモーエンス・コッホの事務所でアシスタントとして働くことで実務経験も重ねました。

 

庶民のための家具

1939年のキャビネットメーカーズギルド展に初出展し、話題となっていたモーエンセン。FDBモブラーに協力を依頼されたコーアクリントの推薦を受け、家具デザインの責任者に抜擢されます。ここで、一般市民が購入できる安価な、機能的で美しい家具のデザインを行い、さまざまな家具を生み出します。

 

FDBモブラーとは

FDBモブラーは、デンマーク国民の消費者生活のレベル向上を目指して1942年に誕生しました。1866年に誕生した、デンマーク生活協同組合連合会(FDB)の家具部門です。

FDBの活動が生活全般にまで普及していった背景には、デンマークの団結と共同の意識があります。

19世紀後半、蒸気船の発達によりアメリカやウクライナから安価な穀物が大量に輸入されるようになり、ヨーロッパの小規模農民は、大きな打撃を受けることとなります。それに加えて、戦争によって穀物生産に適した土地を失ったこともあり、酪農の分野では1882年に世界初の協同組合酪農場を南西ユトランドに設立さしました。酪農は他の農業と違い、新鮮な牛乳を早く集荷して乳製品を作らなくてはならず、設備も場所も必要であるため、大勢の農家が協力して全体の利益を目指す形をとりました。

このような産業的な背景によって、デンマークでは一般市民も結束の意識が高まり、FDBの活動が広がっていくのです。

FDBは各地域にある雑貨屋をメンバーにして共同仕入れをし、安い食料や雑貨を売る店をチェーン展開していきます。その店は、街の数だけ増えていき、次第に扱う商品をターゲットごとにブランド分けし、多様化させていきます。その中で家具部門は、F.D.B.Mobler(モブラーは家具の総称の意)となり、初めは仕入れて小売りでしたが、オリジナルを作るようになります。

  

FDBモブラーに28歳の若さで抜擢されたボーエ・モーエンセンは、計8年間在籍しました。生活協同組合としての「美しく、安く、丈夫な家具」のコンセプトに基づき、庶民のための家具デザインを行いました。

 

庶民に向けた、ウィンザーチェアのリ・デザイン

ボーエ・モーエンセンは、コーア・クリントのデザイン方法論を実践し、家具デザインを行います。FDBモブラー最初のオリジナル家具シリーズには、イギリスのウィンザーチェアをリ・デザインしたJ6(1947年に一部改良しJ52として発表)や、J4が含まれていました。木製シートながらも安楽性が高く、食事だけでなく長時間の作業にも適した椅子です。戦時中の物資不足により、ソファーなどの張り物の椅子を購入することが難しい庶民のためにデザインされています。

  

Folkestolen(「庶民の椅子」の意)と呼ばれるJ39

1947年には、代表作となるJ39を手がけています。シェーカーチェアのリ・デザインで、クリントのチャーチチェアを、さらにリ・デザインしたともいえます。当初、座面はシーグラス(海草)で編まれていましたが、戦後の物資不足のため、紙を拠ったペーパーコードに変更されており、そのデザインには庶民の生活の道具としてどんな空間にも馴染む美しさを持ちます。

    

富裕層向けの家具

ボーエ・モーエンセンはFDBモブラーでの活動と並行して、キャビネットメーカーズギルド展にも継続的に参加していました。こちらでは、FDBモブラーでは扱えなかったキューバンマホガニーなどの高級木材を使用し、富裕層向けの家具を発表しています。

終戦直後の1945年には、モーエンセンとウェグナーが協力し、アパートをテーマにブースデザインすることとなります。ベッドルームはモーエンセン、ダイニングルームはウェグナー、リビングルームは二人で手がけ、この時にモーエンセンがデザインしたスポークバックソファーは、彼の代表作として知られています。

それは、通常のソファーのようにフレーム全体に布や革を張り込むのではなく、ウィンザーチェアの座面を下げて横幅を拡張し、その上にクッションを置くというもの。

フランスのシェーズロング(寝椅子)とイギリスのウィンザーチェアを掛け合わせたようなデザインは、過去のデザインを参考にしつつも、新しい提案として注目されました。後ろから見ても軽やかで美しく、部屋のどんな場所においても楽しめるデザインで、家具職人のヨハネス・ハンセンによって製作されました。

フリッツ・ハンセンで商品化されましたが、モダンな家具が浸透しきっていなかった当時のデンマークには受け入れられず、すぐに廃盤となります。その後、1962年に再発売され大ヒット商品となり、多くのデンマーク人のリビングルームに置かれました。現在は、フレデリシアファニチャーで製造されています。

  

独立後のデザイン

FDBモブラーでは、会長フレデリック・ニールセンとモーエンセンの想いが込められた「庶民のための家具シリーズ」のカタログを1950年に発行します。世の中の動きに敏感な中流階級以上の家庭や、公共施設に彼らの家具は徐々に受け入れられるようになりました。しかし、本来のターゲットである一般市民には当時受け入れられない状況に失望するとともに、ニールセンの退職が重なり、モーエンセンはFDBモブラーを去ることとなりました。

その後、FDBモブラーの理念は、ポール・ヴォルターやアイヴァン・ヨハンソンら後任のデザイナーに引き継がれ、家具作りが継続されています。当時、地方から都市へ仕事を求めた移住者が増加し、都市部は住宅不足に陥っていました。地方から持ち込む重厚で古典的な家具は、狭い部屋を圧迫してしまうため、FDBモブラーの機能的な家具は都市部を中心に受け入れられ、その後地方にも勢力を拡大していきました。1950年代に入るとFDBモブラーの家具(J39,J46,J64など)は大ヒットしました。 

 

FDBもブラーをやめたモーエンセンは、デザイン事務所をフレデリクスベア地区のアパートに構えてデザイン活動に励みます。

1950年のキャビネットメーカーズギルド展では、ハンティングチェアを発表しました。オーク材のフレームに、厚手の革でできた座面と背もたれをベルトで固定したデザインで、いくつかの作品を経て1958年に発表されるスパニッシュチェアへとつながります

素材の選定も加工の方法もFDBモブラー時代とは大きく異なり、オーク材と厚手の革の組み合わせは、フリーランス時代のボーエ・モーエンセンを象徴する要素の一つとなります。

  

その後もソボーモブラー、C.M.マッドセン、P.ラウリッツェン&サンなど、工場での量産を前提としたメーカーからデザインを依頼されることとなり、ソボーモブラーでは、成形合板やスチールを用いた家具のデザインにも挑戦しました。

モーエンセンにとって最大のクライアントとなったのはフレデリシアファニチャーです。フレデリシアファニチャーの設立は1911年ですが、55年にアンドレアス・グラヴァーセンが経営不振の工場を買収すると同時に、モーエンセンにデザインを依頼します。

依頼を受け、協力を渋っていたモーエンセンをグラヴァーセンは説得し、ユトランド半島北部の出身の二人は強い協力関係となりました。関係はモーエンセンが亡くなる1972年まで続き、数多くの作品がフレデリシアファニチャーから発表され、その多くは現在でも製造され続けています。

モーエンセンが初めてキャビネットメーカーズギルド展に参加した1939年から付き合いのある、テキスタイルデザイナーのリス・アルマン。彼との協働も長年にわたり継続されます。リス・アルマンが得意としたストライプやチェックを基本にした柄のデザインは、モーエンセンが手がけた家具の張り地として度々採用されました。モーエンセンの家具は、生真面目な性格から生み出される、隅々まで計算し尽くされた隙のないデザインです。リス・アルマンのテキスタイルは、そんな家具に親しみやすさを与え、モーエンセンの家具になくてはならないものでした。

 

  

モーエンセンは、晩年故郷に近いリムフィヨルドのそばに土地を購入し、サマーハウスを建てて移り住みますが、1972年に他界しました。

デンマークの庶民の生活を思ったモーエンセンの家具たちは、今尚引き継がれていますが、コーアクリントに学んだリ・デザインの方法を大切しながら、実際に自分の生活に欲しいものを作るという姿勢によって生み出されています。自分の生活を通して人々の生活を思う、細部まで考え抜かれたデザインは、今なお人々を惹きつけ、愛され続けています。

  

  

 

参考文献

『美しい椅子―北欧4人の名匠のデザイン』えい文庫

『流れがわかる! デンマーク家具のデザイン史: なぜ北欧のデンマークから数々の名作が生まれたのか』誠文堂新光社

『ストーリーのある50の名作椅子案内』スペースシャワーネットワーク