今さら聞けないイームズ。世界中で一大ブームとなったシェルチェア

今さら聞けないイームズ。世界中で一大ブームとなったシェルチェア

「イームズ」と聞くと、みなさんは何をイメージしますか?


恐らく、プラスチックのシェルチェアを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。


1995年にマガジンハウスより発売された雑誌「BRUTUS」にて、イームズ特集が組まれたことにより、その後ブームが起こりました。


実はイームズとは、アメリカ合衆国のデザイナー、チャールズ・イームズと、その妻のレイ・イームズの苗字なのです。今となってはイームズというと彼らが多く生み出した椅子などの家具を表すことが多くなりました。


今回は、世界中で一大ブームを巻き起こした、イームズの魅力や世間を注目させた家具を作り出したイームズ夫妻の魅力についてみていきましょう。

 

イームズの特徴。シンプルかつ長く愛されるチェア

イームズ夫妻は、家具づくりにおいて「良いデザインを、安価に、だれにでも」というコンセプトを最も重要視しています。

 

当時は新しい素材であった繊維強化プラスチックやワイヤー、合板や金属などの素材を活かした洗練されたデザインが特徴です。

 

さらには、使い手が長くその家具を使い続けられるような機能性の高さもあり、シンプルな見た目でありながらも、その使い勝手の良さに驚く人が後を絶ちません。

 

それゆえ、シンプルで部屋に馴染みやすい親しみのあるデザインが、イームズ夫妻亡き今もなお、これだけ長く愛される理由なのでしょう。

 

チャールズ・イームズの生い立ちとレイ・カイザーとの出会い

チャールズ・イームズは1907年、ミズーリ州で生まれ、父親の影響で写真に興味を持ちはじめました。

 

高校生の時は学業に励むかたわら、家計を支えるためにレイクリード・スチール社で製図工見習いとして勤め、設計や製図を身につけました。

 

そして、セントルイス・ワシントン大学建築学科に進学したのです。

 

しかし、彼の建築に対する熱があまりに強く、学校の教育方針に反していたため、退学処分となってしまいます。その後、彼の建築に対する情熱は冷めることなく、セントルイスで建築設計事務所を開設しました。

 

徐々に活躍が評価されクランブルック美術学院に入学し、後に教授としても勤めます。そこで同僚だったレイ・カイザーと出会い、やがてお互いの才能に惹かれあい、めでたく結婚しました。

 

伝説のイームズ夫妻の物語は、そこから始まります。

 

イームズはミッドセンチュリーインテリアの代表格に

イームズが手掛けた家具は、ミッドセンチュリーインテリアの代表格ともいえるでしょう。

 

ミッドセンチュリーとは、多くの場合は戦後を指します。

 

当時は、戦争のために生み出された素材や技術を応用して家具が作られることが多くありました。イームズは古くからあるプライウッドを熱と圧力を用いて三次元曲面に成型するという技術を使ったのです。

 

また当時は時代の先駆けとなるような近未来的で、ポップな色合いのイームズ家具は、斬新なデザインでした。

 

そのためイームズを社員として迎え入れようと、色んな企業がイームズの取り合いをします。

 

その結果、イームズはHermanMiller(ハーマンミラー)社のデザイナーとしての採用が決まりました。そういった経緯もあり、イームズの家具のほとんどがハーマンミラー社から発売されています。

 

イームズがブレイクスルーしたきっかけ

日本でイームズが流行ったきっかけは、冒頭で触れたように、1995年、マガジンハウス刊行の『BRUTUS』でイームズチェアが紹介されたからです。

 

『BRUTUS』は1980年代は派手に遊ぶ大人向けの特集が組まれることが多く、イームズチェアをはじめインテリアにはそこまで日の目を見ませんでした。

 

しかし、1990年代のバブル崩壊後、人々の興味はライフスタイルに向かったため、それらの特集が多くなりました。

 

イームズチェアなどの洗練されていながらも、緻密に計算された使い心地の良いイームズ家具が、読者のニーズにぴったり合っていたのでしょう。

 

徐々にイームズの人気に火がつくにようなりました。

 

イームズチェアの代表作3つ

イームズ家具の代表作をみていきましょう。数ある作品の中から、有名なものを3つ紹介します。

 

シェルチェア

イームズはガラス繊維強化ポリエステル樹脂(GFRP)という素材に目をつけ、世界で初めてプラスチックでできた椅子を大量に生産しました。

 

カラーバリエーション豊富でインテリアに馴染むデザインでありながらも、人の身体を包み込むような座り心地の良さも兼ね備えています。

 

そのため、ハーマンミラー社より発売して一年で瞬く間に有名になり、世界中でイームズシェルチェアは愛用されるようになったのです。

 

しかし、そこまでの道のりは険しく、苦労の末、試行錯誤を繰り返し生み出されました。

 

もともとは1948年のニューヨーク近代美術館(MoMA)が主催した「ローコストデザインコンペティション」のためにデザインされたものでした。

 

しかし当時作成した素材では、コストがかかるという理由で二位という結果に終わってしまい、GFRPの素材を活かすことにしたのです。

 

こうして、現在のシェルチェアが完成していきました。

 

ラ・シェーズ

ふわっと浮かぶ雲のような印象を与える長椅子と評されるラ・シェーズの特徴は、なだらかで個性的な曲線美です。

 

ガストン・ラシェーズの『Floating Figure(フローティングフィギュア)』から影響されて制作されたと言われています。

 

『Floating Figure』とは、肉付きの良い女性が空中に浮かんでいるような彫刻です。

 

ラ・シェーズもMoMAのコンペのために作られました。残念ながら入選することはありませんでしたが、作品自体は非常に注目されていました。

 

その後、技術が進歩して製造が可能になったことにより、Vitra社から販売することになりました。

 

その類を見ないデザイン性の高さゆえ、レイ・イームズが最も好きな作品だったそうです。

 

ラウンジチェア&オットマン

ラウンジチェア&オットマンは、プライウッドとレザーの組み合わせでできていて、モダンかつゴージャスな印象があります。

 

レザー用のクリームでメンテナンスを行えば、長くきれいに使用でき、そしてなんといっても、最高級の座り心地の良さと、長時間座っていても疲れない設計になっています。

 

ラウンジチェアに腰かけてオットマンに足を伸ばすことができるため、家でリラックスするのに適していて、世界中で愛用されています。

 

読書をするとき、コーヒーブレイクを楽しむとき、時間を忘れて空想にふけるとき、この椅子が極上のひとときを演出してくれることでしょう。

 

イームズが与えた世間や業界へのインパクト

イームズは、チェアの制作だけでなく、ショートフィルムの制作発表や自邸の建築設計が世の中にインパクトを与えています。

 

それぞれ詳しくみていきましょう。

 

ショートフィルム制作でも華々しい功績

チャールズ・イームズは幼い頃、父を亡くし、父の遺品である撮影機材で写真撮影をはじめました。

 

その頃の経験が活きて、ショートフィルムの制作と展覧会のプロデュースの活動など、多岐にわたります。

 

代表作ともいえる『Powers of Ten(パワーズ・オブ・テン)』は画期的な映像作品であり、教育現場でも用いられるほどの人々の間に浸透している作品です。

 

最初の展示会は「マスマティカ展:数の世界…そしてその向こう」であり、アメリカのIBM社の依頼により開かれました。



自然と調和した開放感のある自邸を設計

「イームズ邸」ともいわれる「ケーススタディハウス No.8」というイームズ夫妻が手がけた邸宅が、ロサンゼルスのパシフィックパリセーズに建設されました。

 

ガラス張りの部分もあり、まるで森の中に浮かんでいるような、広々とした空間が魅力的です。

 

中庭があり、リビングは吹き抜け、さらには屋外空間もあるという作りになっています。

 

イームズが今まで培ってきた圧巻の建築技術が具現化されたような、そんな見事な建築作品といえるでしょう。

 

まとめ

現代でも愛用され、私たちの生活を色どり、支えてくれるイームズ家具の魅力や、探求心が高く多才なイームズ夫妻の生い立ちについて深堀りしました。

 

イームズ夫妻はシェルチェアやラシェーズ、ラウンジチェア&オットマンなどの、多くのファンを虜にする家具を作り上げたのです。

 

そんな家具は良いデザインを安く誰にでも使えるように、というイームズの信念があったからこそ作られ、良い家具を大量に生産させることに成功しました。

 

その裏には、チャールズ・イームズの幼い頃の父との死別や、大学の退学処分、イームズ夫妻が直面したシェルチェアを作るにあたっての素材の見直しなど、様々な困難があったからこそ、華々しい活躍をしたといえるでしょう。

 

みなさんもイームズ家具を使う時は、そんな歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

 

出典

 

 

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