今さら聞けないジョージ・ナカシマ。木を愛する想いが世界中に広がる

今さら聞けないジョージ・ナカシマ。木を愛する想いが世界中に広がる

日本の住宅の多くには和室が設けられています。そんな和室と相性の良いのが木製の家具です。


木製の家具について語るならジョージ・ナカシマを避けては通れません。それぐらい彼はとにかく木を愛し、とことん素材を理解したうえで家具づくりを行いました。


そんな彼の家具は海外の著名人にも人気です。


プラダのクリエイティブディレクターであるラフ・シモンズや、ロエベのJ・W・アンダーソンにもこよなく愛用されています。


そんな世界中で人気を集めているジョージ・ナカシマのヒストリーや彼が手掛けた家具が、なぜそこまで人々の心を掴むのかを迫っていきましょう。

 

ウッドワーカー ジョージ・ナカシマ。誰よりも木を愛した想いが宿る

ジョージ・ナカシマの本名は、ジョージ・カツトシ・ナカシマで日本名では中島勝寿といいます。

 

彼はもともと建築家を目指していましたが、ちょっとしたきっかけで家具の設計から製作まで手掛けるようになりました。

 

彼は幼少期からボーイスカウトで自然と触れ合い、木の魅力に惹かれてたのも大きな要因です。

 

なによりも木を愛するジョージ・ナカシマは、自らのことを「ウッドワーカー」と名乗っていました。

 

彼は利便性や合理性を追求する時代に生まれましたが、自然を愛して木を私たちの生活に取り入れようとしました。

 

そんな彼の姿勢が今もなお彼の作品が愛される理由のひとつなのかもしれません。

 

7年にの世界一周旅行。ル・コルビュジエなど多くのクリエイターに学ぶ

1905年、アメリカのワシントン州でジョージ・ナカシマは生まれました。中島勝治と中島寿々の長男として誕生しました。漢字からもわかるように両親ともに日本人です。

 

彼は幼いころからボーイスカウトに所属し、自然豊かな環境でのびのびと育ちました。

 

そんな経験から木に興味を抱いた彼は、ワシントン大学で林学を専攻したのです。その後は、マサチューセッツ工科大学大学院で建築学を専攻しました。大学院卒業後は、ニューヨークで数年間働いたのちに7年以上にもわたる年月の間、世界一周の旅に出ます。



まずはパリに1年滞在し、ル・コルビュジエのスイス館の建築現場に足を運びました。そこでジョージ・ナカシマはル・コルビュジエから多くのことを学びました。

 

次に両親の生まれ故郷でもある日本に渡りました。

 

東京にあるアントニン・レーモンド建築事務所に入所します。同僚にはモダニズム建築家として有名な前川國男や吉村順三がいます。特に吉村順三とは一緒に京都の寺社仏閣を見に行くほどの仲になり、彼からも多くのことを吸収しました。

 

またジョージ・ナカシマは日本滞在中には軽井沢聖パウロカトリック教会の設計と家具のデザインも手掛けたのです。

 

ジョージは、次にインドに向かいました。レーモンド設計事務所が手掛けている建築の現場監督を任されたのです。

 

2年間に及ぶ現場監督の役目を終えた彼は再び日本に戻りました。そしてレーモンド建築事務所で同僚だった前川國男の事務所に入ります。在籍中には丹下健三とも出会いました。

 

出会いはそれだけではありません。アメリカ生まれの英語教師の岡島すみれとも出会い、華々しく婚約しました。

 

そんな長旅を経て彼らはアメリカに戻り、ジョージ・ナカシマはすみれと正式に結婚しました。

 

その後、アメリカ建築の視察旅行としてシアトルからカリフォルニア州に移動しました。

 

そこで彼は世界一周の旅で日本に来日するときに同行したフランク・ロイド・ライトの建築現場にも訪れたのです。

 

それは衝撃的な建築現場でした。

 

デザインは良かったものの構造が簡素で作り手の技術も低かったのです。この時ジョージ・ナカシマは自分がやるなら自らで全体をコントロールしたいと思い、木工の道へ進む決意をします。

 

しかし当時彼を取り巻く世界情勢は良いものではありませんでした。

 

1942年、第二次世界大戦がはじまったのです。ジョージ・ナカシマは日系人ということでアイダホ州の収容所に家族とともに入れられてしまいます。

 

そんななかジョージ・ナカシマは不幸中の幸いで、たまたまそこで出会った日本人大工から木工技術を学ぶことができたのです。

 

翌年、彼はレーモンドが経営するペンシルベニア州の農場に移住し、農場で働きました。

 

そしてその農場の近くにあるバックス郡でガレージを工房として、デザインから製作まで一貫した家具作りを始めたのです。収容所で出会った大工から教わった技術が生かされる場となりました。

 

ジョージ・ナカシマは続々と家具を発表し、東京・新宿にある小田急ハルクで日本初の個展も開いたのです。

 

そんな彼の活躍が評価され、1983年には日本から勲三等瑞宝章が授与されました。

 

その後も家具制作などで怒涛の日々を過ごしていましたが、1990年ペンシルベニア州で彼は帰らぬ人となってしまいます。

 

彼亡き今もなお、ジョージ・ナカシマの作品は世界中で愛用されています。

 

木の第二の人生をという視点。世界中で愛される家具

木製の家具をたくさん手掛けたジョージ・ナカシマは自身のことをデザイナーと言われることを好みません。

 

なぜなら、ウッドワーカーで、彼は正面から木と向き合い、木をどう活かせば良い家具になるかを常に考えていました。

 

彼が活躍した頃は、ちょうど安価な素材で大量生産するモダニズムの主張が強い時代でもあったのです。しかし彼はその流れに乗らず、自ら動いて自ら考えて家具を作り続けました。

 

もともと植物として生きていた木を使って、木の第二の人生をどのように家具として作り上げるかについて考えることに重きを置いていたのです。

 

そんな彼の信念のもと出来上がった家具はどれも凛とした美しさを持っています。

 

コノイドチェアがブレイクのきっかけ。収容所で大工に学んだ技術

ジョージ・ナカシマの名前が世に広まるきっかけになった作品はコノイドチェアです。

 

この椅子は木製で、まるでヴァイオリンの弦のような美しさを持つスポークバックの背もたれが特徴です。

 

コノイドは円錐を意味し、円錐のような屋根が印象的なコノイドスタジオでデザインされたことからコノイドチェアという名前になりました。

 

この椅子は二本の脚だけで支える構造で、日本の伝統的な木組みで作られています。ジョージ・ナカシマが日本での見聞や収容所で日本人大工から木工を学んだことが活かされたのです。

 

完全に日本風の椅子というわけではありません。

 

木材はアメリカンウォールナットを採用していて、背もたれは身体を傷めないよう弾力性に富んだヒッコリー材を使用しています。

 

まさに日本とアメリカの技術や素材の良さを掛け合わせた椅子なのです。

 

世界中を旅してきたジョージ・ナカシマだからこそ考案できた作品といっても良いのではないでしょうか。

 

ジョージ・ナカシマの代表作2つ。日本の民具を再生するという活動

ジョージ・ナカシマは世界一周の旅やアメリカ建築の視察旅行の経験もあります。

 

現地に実際に足を運んで五感で色んなことを吸収しました。ではそんな彼が実際に作った作品の中で、有名な作品はどんな作品なのでしょうか。いくつかご紹介しましょう。

 

ミングレンアンドン

1968年にジョージ・ナカシマはヒノキに和紙を貼った照明の、ミングレンアンドンを発表しました。

 

ミングレンとは香川県にある民具連という団体のことです。この団体は、人々の間で古くから使い親しまれてきた民具を新しい民具として再生しようとする運動により設立されました。

 

民具連の製品を見たジョージ・ナカシマはその細やかな作りに感銘を受け、民具連へ参加することになりました。

 

そうして完成したミングレンシリーズの一つが「ミングレンアンドン」です。

 

この行燈は釘を使わずに木を組み合わせて作られています。出来上がった組子細工に和紙を貼り、ランプに仕立て上げました。

 

このミングレンシリーズは東京・新宿にある小田急ハルクで個展が開かれるほど注目を集めました。

 

オダキュウクッション

オダキュウクッションはコノイドチェアと同じくスポークバックの背もたれで足のない低座椅子です。

 

ネジや釘が使われていないため丈夫で壊れにくく、弾力性のある背もたれとやわらかいクッションが身体を包み込みます。布製の座椅子だと数年使えば壊れてしまうものもありますが、この低座椅子なら長く使い続けられるでしょう。

 

シンプルなデザインで、洋室・和室ともに相性抜群で場所を選びません。

 

和室に置いたらモダンな空間を演出でき、洋室に置いたらアメリカンスタイルな部屋にもナチュラルスタイルな部屋にもなります。

 

この低座椅子は民具連の本拠地、香川県にある桜製作所で製作されています。

 

ジョージ・ナカシマの偉業!香川県に記念館がオープン

2008年、香川県高松市にジョージナカシマ記念館がオープンしました。

 

長年ジョージ・ナカシマと家具製作をともにしてきた桜製作所が彼を称えて設立した記念館です。

 

ジョージ・ナカシマ自らが、身体を張って技術を体得しに行った経験や苦境に立たされた時の考え方などに触れることができます。

 

彼は世界的に有名な家具デザイナーですが、今でも正規品を扱うのはペンシルベニア州の工房と桜製作所の二ヶ所だけです。

 

そのためオープン時は全国から足を運ぶ人々で賑わいました。

 

館内にはジョージ・ナカシマの家具が65点ほど展示されています。館内の雰囲気はまるで木の美術館のようなぬくもりに溢れた雰囲気です。そこにいるだけで木の呼吸が聞こえてきそうで、酸素がいっぱいの森のコテージにいるかのような感覚も味わえます。

 

木を愛してやまないジョージ・ナカシマの精神を存分に楽しめる施設です。

 

まとめ

今回は家具職人であるジョージ・ナカシマの歩んできた足跡を辿りました。現代の私たちの生活は様々な人工素材や工場で生産されたものであふれかえっています。

 

しかしジョージ・ナカシマが作る家具は、試行錯誤の上一つ一つ手作業で出来上がったものばかりです。どんな家具もまるで木と対話して作られたのかと思うほど使うと心が浄化されていきます。

 

もしみなさまの生活が少し窮屈に感じるなら、それは自然が足りてないからなのかもしれません。

 

今一度身の回りの家具を見直してみるのがオススメです。木製の家具を取り入れることで、よどんでいた空間がエネルギーに満ち溢れてきます。さらにそれが、ジョージ・ナカシマの家具であれば、きっと木製の家具の魅力を体感できることでしょう。

 

【参考URL】

・オダキュウクッション

https://www.sakurashop.co.jp/products/george_nakashima/field/item_category/chair/

 

・Odakyu Cushion / Sakura Seisakusho

http://www.building-td.com/item/detail.cgi?mode=itemfind&keyword=stock|vintage|1959_chair

 

・〈2〉家具の名はミングレン

http://www.asahi.com/area/kagawa/articles/MTW20160803380510001.html

 

・讃岐民具連 Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AE%83%E5%B2%90%E6%B0%91%E5%85%B7%E9%80%A3

 

・木製椅子の新境地を、大胆に切り拓いた名作。

https://www.pen-online.jp/article/002976.html

 

・ジョージ・ナカシマ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%9E

 

・なぜ、いまジョージ・ナカシマなのか。

https://www.houyhnhnm.jp/feature/580426/

 

・ジョージ・ナカシマの代表作は?名作椅子や家具について

https://kagu.tokyo/entry/george_nakashima_2212

 

・木とともに生きた人・ジョージ ナカシマの哲学に触れる静謐なひとときを/ジョージナカシマ記念館(香川県高松市)

https://setouchifinder.com/ja/detail/25183

 

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