今さら聞けないジョージ・ネルソン。歴史に残る 代表作・マシュマロソファやバブルランプ
アメリカでミッドセンチュリーインテリアがブームだった頃に活躍したデザイナーがいます。
彼の名はジョージ・ネルソン。あのチャールズ&レイ・イームズの人気にも一役買いました。ジョージ・ネルソンは教師、編集者、著者、デザイナーの部長、家具デザイナー、建築家などの様々な肩書を持っています。
しかし最初から認められたわけではなく、失敗や苦労を重ねながらも日々情熱をエネルギーに変えて、少しずつ結果を残してきたのです。
どうしてそこまでたくさんの肩書をもっているのか、どんな苦労の末、有名になったのか、さまざまな疑問があるかと思います。その答えを少しずつ探っていきましょう。
多彩な能力を発揮したジョージ・ネルソン
ジョージ・ネルソンはひょんなことから建築家を目指すようになりました。
四苦八苦しつつも、イェール大学のローマ賞を受賞し、奨学金を活用してローマのアメリカンアカデミーに留学したのです。そこでの出会いは、彼の後の人生に大きな影響を及ぼすものばかりでした。
アメリカに帰国した彼はとんとん拍子で『アーキテクチュラル・フォーラム誌』の編集メンバーになり、その後もタイミングよく、ハーマンミラー社のデザイナーの仕事をこなし、遂にはデザインディレクターにまで抜擢されたのです。
彼はその頃から多くの作品を発表していました。
見る人誰もが驚くマシュマロソファは、マシュマロが18個も繋がったように見える形を模しています。遊び心のあるデザインで一度見たら忘れられない印象のソファともいえるでしょう。
そのほか彼は、バブルランプを発表しました。
その名の通り泡のように丸いフォルムです。ひとくちにバブルランプといっても様々な丸の形のランプがあります。しかしどれも幻想的な明るさで空間を照らす照明で、エレガントな雰囲気を醸し出すのです。
ピアニストになるための教育から建築デザイナーへ
アメリカにコネチカット州という、アメリカの中でも3番目に小さい州があります。ジョージ・ネルソンはそこで1908年に誕生しました。
両親はドラックストアの経営者で、幼いころから母からピアニストになるよう教育を受けていたのです。
しかし彼は、古い歴史のあるイェール大学に進学します。この時には、今のように建築家として活躍するとは誰も想像してもいなかったでしょう。
彼が建築家を目指すようになるターニングポイントは大学2年生の時。たまたま大学の建物の廊下を歩いていたら、壁に飾られていた『公共墓地の入口周辺』という学生作品を見て、胸を揺さぶられたのです。
そしてこの時、建築家の道を進む決心をしました。
そんな偶然の出会いを果たした彼ですが、その日から熱意を持って建築をとことん学び、後に教授から「巨匠」と呼ばれるまでにデッサンが上達しました。
人一倍卓越した向上心のあるジョージ・ネルソンは大学を卒業後、自身の母校のイェール大学で非常勤講師を勤めました。しかしその頃彼を取り囲む社会情勢は恵まれたものではなく、世界大恐慌の荒波にもまれて大学を解雇されてしまうのです。
その後、自身の未来のことも考え、オーストラリアにあるオーストラリアンカトリック大学大学院に進学します。ここでの大きな目的はバリー賞を受賞することでした。
彼はストイックに研究に励みましたが、残念ながら目標としていたバリー賞を獲得することができませんでした。しかし、イェール大学からローマ賞を受賞したとの連絡が来たのです。
ローマ賞の奨学金を使ってローマにあるアメリカンアカデミーに留学することになりました。これまで困難が多かったジョージ・ネルソンの人生に、明るい光が差し込んできたのです。
この留学期間中に彼は幸運にもミース・ファン・デル・ローエやル・コルビジェなどの偉大な建築家に会うことができ、話を聞くこともできました。この経験は、彼のデザイナー人生において、大きな影響を及ぼす大変な出来事です。
ローマでの出会いはそれだけではありません。彼はフランシス・ホルスターと出会い、恋に落ち、めでたく結婚するのです。
帰国後は『アーキテクチュラル・フォーラム誌』の編集メンバーになり、ウイリアム・ハンビーとともにニューヨークに建築事務所を設立しました。
そんな彼の活躍ぶりを目に留めたハーマンミラー社の社長、ディプリーはジョージ・ネルソンを同社のデザイナーにならないかと誘ったのです。
彼はその誘いを引き受け、デザイナーとして活躍したからこそチャールズ・イームズ&レイ・イームズらを同社に導くきっかけになりました。
その後も彼の活躍はとどまることなく、輝かしい功績を残して1986年にニューヨークで息を引き取ったのです。
常に使い手への影響を考えたジョージ・ネルソンの思想
「デザインは、社会の変動に対応します」というジョージ・ネルソンの言葉があります。彼は「デザイナーたるもの、自分たちの作品が社会や人々に及ぼす影響を常に考えていなければいけない」という思想を持っていました。
自然の秩序を破壊するのではなく、自然の法則に則ってデザインすることを重んじたのです。
そしてデザイナーはみんな、専門的な技術を習得する以上に、広い知識や理解を身につける必要があると主張しています。
ハーマンミラー社へのヘッドハンティングが飛躍するきっかけ
ジョージ・ネルソンの人気に火が付くきっかけになったポイントはいくつかあります。なかでも大きいのはジョージ・ネルソンがハーマンミラー社のデザインディレクターに任命されたことです。
彼の共同著書である『Tomorrow’s House』が同社の社長の目に留まり、デザインディレクターになれたただけでなく、彼はハーマンミラー社の外でも仕事できることや彼と仕事をした建築家のデザインを好きなように使える契約も結べたのです。
自由に仕事ができる権利を得たジョージ・ネルソンはさまざまなデザイナーと出会い、そのデザイナーの作った家具をハーマンミラー社で販売しました。
もともと彼は建築雑誌の編集メンバーとして勤めていたことやローマ留学中の偉大な建築家とのインタビュー経験があり、コミュニケーション能力に長けていたのでしょう。
チャールズ・イームズ、リチャード・シュルツ、ハリー・ベルトイア、イサム・ノグチ、ドナルド・クノールなどの著名なデザイナーの作品を彼の監修のもと、ハーマンミラー社で販売することができました。
こういった偉人たちとの交流が多いジョージ・ネルソンは、周囲の影響もあり様々な革新的な家具や建築をデザインしたのです。
ジョージ・ネルソンの代表作2点
ジョージ・ネルソンが1947年に自身の設計事務所を設立した後、数々の家具をデザインしました。
その中で今でも人気がとどまることのない名作を2つ紹介します。
ボールクロック
時計の文字盤部分をボールで表現したものがボールクロックです。時計には数字を使わなければならないという概念を打ち破った、ジョージ・ネルソンらしい型破りの作品といえます。
この時計は使う人々を楽しませてくれるような、そんなユニークさに溢れているのです。
ジョージ・ネルソンの斬新なアイデアが組み込まれています。
なんといってもポップながらも木製で温かみのある色合いを使った愛らしいデザインが特徴。ジョージ・ネルソンは150種類以上もの時計のデザインを手掛けましたが、中でもこの時計は代表作といえます。
このボールクロックがデザインされた1950年ごろのアメリカはモダンデザインの隆盛期で、モダンであることが経済の発展に繋がると信じていました。
それゆえ彼もモダンを家庭に取り入れるためにはどうすれば良いのか日々考えていたのです。その結果完成されたボールクロックはまさにミッドセンチュリー期の代表作ともいえるでしょう。
現在はvitra(ヴィトラ)社から販売されています。
ココナッツチェア
三角形を丸めたような形のクッションは、ココナッツを8等分したうちの一欠片のようだとジョージ・ネルソンは述べています。
快適性と動きやすさを追求して作られた椅子で、寛ぎながらも自由に身動きが取れるデザインなのです。
寛げる秘訣は椅子の構造にあります。やわらかいクッションにレザーが張られていて、形は両サイドの角同士の長さよりも背もたれが長く作られているのです。
そのため身体が包み込まれるような安定感を実現できました。
それだけでなく、ココナッツチェアはサステナブルな一面もあるのです。それはたとえば生産過程での排出物の削減や、工場労働者への保護を高度な技術によって行っています。
これだけの魅力が凝縮されたココナッツチェアは今も不動の人気を誇っており、あらゆる美術館に置かれているのです。
既成概念の囚われないアイデアの宝庫
彼は自身とヘンリー・ライトの共著『Tomorrow’s House』で収納壁の概念を紹介しました。
収納壁は壁に面した天井から床までの空間を活用した埋め込み式の本棚や棚のことです。
そのアイデアはジョージ・ネルソンが「壁の内側は何ですか?」という問いをしたときに生まれました。
この『Tomorrow’s House』を読んだハーマンミラー社の社長、ディプリーはジョージ・ネルソンが家具デザイナーの経験が乏しいにもかかわらず、彼を会社のデザインディレクターに就任させました。
彼はこのようにいくつかの概念をデザイナー業界に吹き込み、建築業界だけではなく、社会にも新しい旋風を起こしたのです。
建築雑誌『アーキテクチュラル・フォーラム誌』で編集メンバーとして仕事をしていた時、荒れ果てた都市の航空写真を見たことがきっかけで新しい概念を生み出しました。
それは街の中心部に歩行者天国を作ることです。後に彼はアメリカで影響力の強い雑誌『サタデー・イヴニング・ポスト誌』でその構想を発表しました。
まとめ
今回はジョージ・ネルソンの波の多い人生や、彼がもたらしたデザイナー業界への影響、彼が作った革命的な家具をご紹介していきました。
彼の人生は一筋縄ではいかない生涯でしたが、確実にミッドセンチュリーに影響をもたらしたことでしょう。
偉大なデザイナーや建築家との交流が多く、それが彼の人生や作品に幸運をもたらしたことも分かりました。
最初はピアニストになる教育を受けていたジョージ・ネルソンですが、人生は何がきっかけでどう転ぶかは分からないものですね。
【参考URL】
・Wikipedia ジョージ・ネルソン
・デザイナー ジョージ・ネルソンを知ろう! Bubble Lampなど
https://www.hermanmiller.com/ja_jp/designers/nelson/
・ジョージ・ネルソン
https://www.vitra.com/ja-jp/about-vitra/designer/details/george-nelson
・ディレクションの天才「ジョージ・ネルソン」のストーリー
https://ogitaka.com/2017/06/02/george-nelson-story/
・ジョージ・ネルソンのデザインを知るための6つのキーワード
https://brutus.jp/mid_century002/?heading=1
・Wikipedia コネチカット州
・Wikipedia イェール大学
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%AD%A6
・Wikipedia サタデー・イブニング・ポスト
・ジョージ・ネルソンがデザインした、ウォールクロックの傑作
https://hld-os.com/shopdetail/000000000023/
・ジョージ・ネルソン ボールクロック ナチュラル
https://www.momastore.jp/shop/g/g4571414344012/
・Nelson Coconut Lounge Chair
https://www.hermanmiller.com/ja_jp/products/seating/lounge-seating/nelson-coconut-lounge-chair/
・NELSON COCONUT LOUNGE CHAIR
https://maarket.jp/products/detail/169
・Nelson Marshmallow Sofa
https://www.hermanmiller.com/ja_jp/products/seating/lounge-seating/nelson-marshmallow-sofa/
・BUBBLE LAMP
https://royal-furniture.co.jp/product/lamps/bubblelamp/
・Nelson Bubble Lamps
https://www.hermanmiller.com/ja_jp/products/accessories/lighting/nelson-bubble-lamps/
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