今さら聞けないジャン・プルーヴェ。 世界中のセレブに愛された作品たち
世界中のセレブたちが好んでコレクションしているフランス出身のデザイナー、それがジャン・プルーヴェです。
彼のファンと公言する有名人は世界中にいて、ブラッド・ピット、マーク・ジェイコブスなどが例に挙げられ、日本ではL'Arc-en-CielのTETSUYA、企業経営者の前澤友作がジャン・プルーヴェ家具をコレクションしているそうです。
加えて彼は、建築物の工業化に大きく貢献した建築家でもあります。
今回はそんなジャン・プルーヴェが、どうしてそこまで人を惹きつけるのかという謎について迫っていきます。
ジャン・プルーヴェ。ミッドセンチュリーモダンの黎明期に活躍
ジャン・プルーヴェは、イームズ家具に代表されるようなミッドセンチュリーモダンの黄金期やオランダ構造主義の台頭期に活躍したフランスの建築家・エンジニアです。
ジャン・プルーヴェは、世界で初めてプレハブ建築を作ったといわれています。
彼の活躍は単なる建築家やエンジニアに収まらず、大学で教師として勤め、解放後諮問会議や技術教育部門監査員などの公的な役職を担いました。
プロダクトデザインやインダストリアルデザインの分野でも成果をだしています。
彼のものづくりへの思考は、単に建築物を合理的で経済的に作り上げることに留まりません。
素材と技術のシナジーや環境負荷の低減といった、持続可能性のある社会を促進していこうという心理も働いていたことでしょう。
芸術家一家に生まれたジャン・プルーヴェ。父の影響が作品に
1901年、ジャン・プルーヴェはフランス・パリで誕生しました。
彼の父・ヴィクトール・プルーヴェは美術家です。父の友人・エミール・ガレはジャン・プルーヴェの名付け親です。
母・マリー・デュアメルはピアニストで、彼は芸術家の一族に2人目の子供として生まれています。
彼は主に父親であるエコール・ド・ナンシーから大きな影響を受けており、父が所属していた芸術チームは「芸術を容易に利用できるようにすること」そして、「芸術と産業の間、そして芸術と社会的意識の間のつながりを築くこと」という理念を掲げていました。
その方針はジャン・プルーヴェが後にデザイナーとして活躍するうえで大事なポイントにつながります。
彼は1914年にはフランス北部の都市・ナンシーにある美術学校に通います。
その後は金属工芸家のエミール・ロベールのもとや金属工房に弟子入りをしました。
そして1923年、彼はナンシーに晴れて自身の工房を開きます。
今まで体得してきた技術を活かして錬鉄製のランプやシャンデリア、寝椅子という新しい家具や折りたたみ家具の制作に取り組みました。
そうした活動をするなかで金属板のなめらかな質感に惹かれた彼は、金属板を活用したエレベーターや家具の設計に注力するようになったのです。
1925年、彼は父の弟子であった画家・マドレーヌ・ショットとめでたく結婚しました。
そして1931年には彼は義兄・アンドレ・スコットと共同で「アトリエ・ジャン・プルーヴェ」をオープンさせたのです。
工作機械を大量に購入し、ナンシー大学で使用されるドアや椅子を作りました。
さらに1937年のパリ万博ではル・コルビュジェやピエール・ジャンヌレといった名だたる芸術家と共同製作したバスルームを発表したのです。
そんな勢いのあるデザイナーに成長したジャン・プルーヴェですが、世の中の情勢はそれに反して第二次世界大戦が勃発してしまいます。
そんな中、彼はアトリエで自転車やパイロバルというストーブを製造してなんとかアトリエを存続させました。
それと並行して戦時中は、レジスタンス運動に積極的に関わり、1944年にはナンシー市長に選出されています。
1939年にはフランス軍が使う携帯用の兵舎を設計しました。
その後、復興省から難民のためのフレームハウスの大量生産を委託されました。
戦争の影響もあってジャン・プルーヴェは携帯用住宅分野の筆頭者的な存在になります。
1947年に彼はナンシー郊外のマクセヴィルに新しい工場を開設しました。
そして1954年にはホームレスが住む簡易住宅を建設するための寄付を呼びかけ、集めた資金でメゾン・デ・ジュール・メイユル(より良い日々のための家)を設計しました。
スタンダードな建築道具を持った数名の男性が集まり、半日もかけずに家を建てることができました。
ほとんど時間や人員をかけずに建てられた住宅ですが、ベッドルームが2室に広々としたリビングのある57平方メートルほどの広さの家ができたのです。
そして1957年にはジャン・プルーヴェ建設を設立し、フランス国立工芸院で13年間教鞭を執ります。
1971年にはパリのポンピドゥー・センターで行われた国際設計コンクールで審査委員長を務めました。
芸術家としてはトップクラスでないと果たせない任務もこなしてきたジャン・プルーヴェですが、82歳で息を引き取りました。
建築家とエンジニアのいいとこ取りの設計思想
ジャン・プルーヴェは建築物をデザインしていましたが、建築家の資格を所持していないため、自らを建設家と呼んでいました。
彼は建築物をスケッチする際、全体像からではなく柱や梁などのディテールから描き始めていたようです。
そんなジャン・プルーヴェだからこそ、ゲリドンのような柱がしっかりしたテーブルを生み出すことができたのでしょう。
「自分は建築家でもなく、エンジニアでもなく、ただ工場で働く男なのだ」と自身のことを述べたジャン・プルーヴェは、常に素材と対話しながらモノづくりをしていました。
頭脳を使う建築家と手を使うエンジニアの両方を良いとこ取りした彼は素晴らしい活躍を見せています。
「私は芸術家と学者の世界で育ち、その世界は私の心にたくさんの栄養を与えてくれた」と語るジャン・プルーヴェは、その言葉通り多くの工芸品や美術運動の拠点地でもあるナンシーで育ちました。
何より父のヴィクトール・プルーヴェは画家で、彼からは多くのことを吸収したことでしょう。
父が所属している美術団体では「芸術を容易に利用できるようにすること」、「芸術と産業の間、そして芸術と社会的意識の間のつながりを築くこと」というポリシーがありました。
このことはジャン・プルーヴェが生涯追求していく課題でもあるのです。
代表作スタンダードチェア以外の作品、シテやメゾン・トロピカル
ジャン・プルーヴェがヒットしたきっかけはいくつかあります。
もちろんスタンダードチェアがヴィトラ社から発売された時も人気を博しましたが、ここではそれ以外のブレイクしたきっかけになる作品をご紹介しましょう。
シテ
ジャン・プルーヴェの活動初期にあたる1930年に発表したのが、シテという名のラウンジチェアです。
ナンシー地域の学生寮のためにデザインされました。ジャン・プルーヴェ本人も自宅で使用していたことから、デザイナー自身もとても愛着があり納得いった作品であるといえます。
このラウンジチェアの魅力は何といっても、スチームフレームに革のベルトを通した斬新なアイデアのひじ掛け部分でしょう。
こういったアイデアのラウンジチェアは今までになく、ジャン・プルーヴェが家具業界にイノベーションを起こしたデザインといえます。
革は経年変化を楽しむことができるため、使えば使うほど愛着も湧きます。
また革が伸びてしまってもベルトの調節が可能なため、長く使用できます。
ほどよい角度のついたラウンジチェアなので、ゆったりと寛げるのもポイントです。
2022年9月にフレームカラーがリニューアルしたことを受け、再びジャン・プルーヴェが注目されるきっかけになりました。
メゾン・トロピカル
フランスの植民地だったアフリカの住宅と市民の建物の不足に対処するために住宅を設計しました。
それがアルミニウム製のプレハブ住宅であるメゾン・トロピカルです。
ジャン・プルーヴェは1949年から3年間の間で3軒、西アフリカに向けてメゾン・トロピカルを設計・製作しました。
そのうち一軒はジャン・プルーヴェの住宅として、一軒はアルミニウム製品を販売するフランス会社の事務所として、残りの一軒はニアメの住宅として使われました。
最終的には分解してパリに返送されました。分解された鋼板とアルミニウムはすべて平らで軽いため貨物機でカンタンに送ることができたのです。
ジャン・プルーヴェはメゾン・トロピカルのように携帯用住宅の設計に長けていて、その道のエキスパート的存在になりました。
戦後はとくに携帯用住宅の需要が高まっていったので、ジャン・プルーヴェの名はたちまち世に広まりました。
ジャン・プルーヴェの代表作、スタンダードチェアは細部までこだわった設計
ジャン・プルーヴェの正規品ヴィンテージ家具の中にはオークションで数千万の値段がつくものも多くあります。
彼の作品はいったいどんなものがあるのでしょうか。ここからは彼の作品の魅力をとくとご紹介しましょう。
スタンダードチェア
スタンダードチェアは今となっては一般的な素材とシンプルなフォルムで出来ていますが、当時としては画期的なプライウッドとスチールで構成されています。
この椅子の特徴は幅広に作られた三角形の後ろ脚です。
これは単なるデザイン性を追求して出来上がった形ではありません。負荷が大きい後ろ脚を太くすることで、椅子への負担を軽減させています。
それだけではなく寄りかかりやすい角度にするため、後ろ脚の太さを変化させたりと細部までこだわって設計されているのです。
そのような工夫を凝らしたこともあり、座り心地の良さは特に評価されています。
スタンダードチェアは長い期間試行錯誤を繰り返して完成しました。
はじまりは1934年です。その後3つの試作品を経てNo.4とネーミングされた椅子が現在のスタンダードチェアのもとになっています。
1950年のNo.4が完成されてからもトライ&エラーを繰り返してやっと納得のいくようになったそうです。
スタンダートチェアを含めてジャン・プルーヴェの作品は2000年代初期までフランス国外において、建築家やコレクターなどの限られた人にだけにしか認知されていませんでしたが、2002年よりヴィトラ社が復刻したことで世界的に注目されるようになりました。
ゲリドン
ゲリドンはシンプルで飽きのこないデザインの円形テーブルです。このテーブルは1950年にパリの大学の食堂用にデザインされました。
天板を3本の幅広の木柱で支えることで、安定感のある作りを実現させたのです。この構造は建築の柱から着想を得て作られたのです。
幅広の木柱はスタンダードチェアにも採用されているため、ゲリドンとスタンダートチェアを合わせて使うとあたたかみのある愛らしい空間を演出できます。
広く知られているのは円形の天板ですが、他にも四角形などの形があります。
現在、ヴィトラ社から製造されているのはナチュラルオーク、ダークオーク、アメリカンウォールナットの3種類です。
天板のサイズは90cmと105cmとあり、90cmは2名用、105cmは3名から4名で利用できます。
自然素材を思うがままに活かした、ジャン・プルーヴェの美学がにじみでたテーブルです。
ヴィトラより復刻販売されたことで再脚光
「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」が東京都現代美術館で2022年7月16日から10月16日まで開催されました。
ジャン・プルーヴェの作品がヴィトラ社から復刻販売されるようになったのを受けて90年代以降再評価が高まり、大規模な展示会が日本でも開催されたのです。
この展示会ではジャン・プルーヴェが手掛けたオリジナル家具や建築物が約120点展示されました。
図面やスケッチなどの資料とともに紹介しているため、彼がどんなポイントに注目してデザインしていたのかなど、試行錯誤した制作過程をイメージできるような展示会です。
ジャン・プルーヴェのインタビューを含む映像も最後の展示室で公開しているため、これを見れば彼のモノづくりに対する姿勢や哲学がとことん網羅できる満足感のある展示会でした。
まとめ
ジャン・プルーヴェは芸術家一族に生まれましたが、ほぼ独学で建築家としてトップに上りつめました。
遂にはル・コルビュジエと共に仕事をするまでになりました。
ジャン・プルーヴェは建築に留まらず、インダストリアルデザインや構造デザイン、そして家具デザインといった分野を超えたデザインスキルを持っていました。
時に教師として教壇に立ったり、ナンシー市長として公務をこなしたり、実に幅広い活躍をみせました。
モノづくりに対する並外れた探究心とこだわりがあったジャン・プルーヴェ。
彼は特定のフォーマットや既存の価値観にとらわれることがありませんでした。
それが今もなお尊敬され愛され続けている理由なのかもしれません。
【参考URL】
・ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで
https://www.museum.or.jp/report/108346
・「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」
https://www.tokyoartbeat.com/events/-/2022%2Fjean-prouve-constructive-imagination
・【申込受付終了】シンポジウム「ジャン・プルーヴェから学ぶべきこと」
https://www.mot-art-museum.jp/events/2022/06/20220620194216/
・ゲリドン Vitra / ヴィトラ
https://www.sempre.jp/unit/10075/
・Gueridon 105 (Vitra)
https://hld-os.com/shopdetail/000000000345/ct163/page1/product/
・美しく心地よい、プルーヴェ初期の名作
https://hld-os.com/shopdetail/000000000824/ct140/page1/order/
・ジャン・プルーヴェとは誰か!? 建築と工業デザインの世界を変えた家具界の先駆者の作品総覧
https://www.elle.com/jp/decor/decor-interior-design/g39155763/jean-prouve-22-03/?slide=34
・Standard Chair (vitra)
https://hld-os.com/shopdetail/000000000028/
・ジャン・プルーヴェ Wikipedia
・建築家 ジャン・プルーヴェを知ろう! ヴィトラ社スタンダードチェアなど
https://sumukoto.com/architect-jean-prouve/
・ジャン・プルーヴェを知っていますか?
https://hld-os.com/html/page23.html
・河内タカの素顔の芸術家たち。 ジャン・プルーヴェ
https://andpremium.jp/column/kawachi-taka/jean-prouve/#heading-1
・ヴィクトール・プルーヴェ Wikipedia
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