今治タオルの特徴 自然豊かな四国は愛媛県今治市で生まれる風合い
今治タオルは、ふんわりと豊かな肌触りと吸水性が大きな魅力です。
その秘訣として、自然豊かな今治の気候と風土が関係していました。
タオルの原材料である綿花栽培に適した気候
今治においてのタオル製作は「今治タオルとは 愛媛県今治市のタオルの起こりと技術発展 〜戦前」でもご紹介していますが、綿花栽培に適した土地であったことから始まります。
四国の北西部、愛媛県から北東に張り出した高縄半島に位置する今治。瀬戸内気候として、一年を通じて温暖かつ少雨であり、安定した気候です。特に綿花栽培においては、実がなって弾ける収穫時期の秋の気候も重要です。日本全体で見ると雨が降りやすい季節ですが、今治は晴れた日が多く栽培に適していることから、江戸時代以降定着していきました。
柔らかなタオルを生み出す今治の水
晒し、糊抜き、染色など、タオル生産の多くの工程において欠かせない水。温暖な気候に加えて、恵まれた水源が今治のタオル生産を支えています。
今治タオル生産の主な水源となっているのは、今治市の中心を走る蒼社川(そうじゃがわ)。
蒼社川は、花崗岩山地である高縄山系を源流としており、硬度が低く、金属イオンの含有量が少ないのが特徴です。この水質は、糸や織地の柔らかさや発色を引き出すのに適していることから、綿産業、タオル産業共に発展する理由の1つとなりました。
今治タオルの独自性の一つ「先晒し・先染め」。
糸をタオル状に織り上げてから、晒し、染め上げるのが一般的ですが、今治では糸の状態で晒し・染めた後に織り上げる製法が多く用いられています。蒼社川の伏流水に恵まれた水を用いて、先晒しにすることで、余分な油分や不純物を糸の段階で落とせるため、タオルに仕上がったときに綿糸の柔らかさや白さが際立ちます。
タオルを織る際に糸が切れてしまったり、毛羽立ってしまうことを防ぐために付けられた糊を落とす「糊抜き」の工程でも清らかな水をたっぷりと使って洗いにかけることで、柔らかで上質な風合いに仕上がるのです。
機械技術や産業全体の発展
現在の柔らかな風合いの今治タオルを語るのに欠かせない、先人たちが作り上げてきた機械技術、それを支える繊維産業全体の発展。
そもそもの産業が発展する理由としては、情報や産物が集まりやすい環境になっていたこと、さらにそれが多くの人に共有される文化があったことが挙げられます。
海上交通の拠点としても栄えてきた今治。鎌倉時代以降は伊予水軍、特に村上氏による村上水軍を中心に、瀬戸内海を制圧し、国内外に渡って活躍していました。組織的な戦闘、行動、情報収集にも長けており、交易においてもリードしていたため、国内外の情報や産物が集まる環境となっていました。
明治時代を迎え、今治がさらに繊維産業で発展していった理由の一つに、四国で最初となるキリスト教会が建てられたことが挙げられます。幕末維新期の政治家横井小楠の長男である伊勢(横井)時雄が、初代牧師となります。キリスト教の教義だけでなく文明論や産業育成、地域活性策などを講義し、広い視点を今治にもたらしました。新島襄との親交も深く、群馬の絹織物産業の知識や技術が伝わっていました。
また、今でも今治に残る「無尽」と呼ばれる文化。
多くの情報が集まる今治において、その情報が業種の垣根を超えて共有する文化や環境も加わったことが産業が発展する理由となりました。
このような文化的な視点を育める環境において、今治地域の産業を支える人々が育っていくことになります。今治のタオル産業では、技術が開発され、特にジャガード織が発達してきました。今治ならではの先染めを活かしながら、広く色を使った複雑な模様の表現が可能です(別記事にて紹介予定)。機械で織り上げるにしても、糸の用意熟練した職人の技が必要です。
機械技術の革新も含め、人々のたゆまぬ努力によって今多くの人に喜ばれる高品質なタオルが生み出されていることがわかります。
今治がタオル産地になったのには、今治という土地の持つ水や天気などの気候、また交通の要所として様々な人や情報が集まる土地であったことが大きな理由と言えます。そこにその土地の人々による技術の革新や丁寧な職人技があってこそ、今治ならではのふんわりと柔らかな質感へとつながっているのです。
参考文献
四国タオル工業組合. 『今治タオル 120周年記念』. 世界文化社, 2015