WELL life style #07 大谷製陶所 大谷哲也さん 2.体の一部となったろくろから生まれる形

WELL life style #07 大谷製陶所 大谷哲也さん 2.体の一部となったろくろから生まれる形

性別、年齢、国籍を問わず、現代に暮らす人々が共通して抱いているのは、豊かな生活を送りたいという願望だと思います。ただ、その豊かさは人それぞれ感じ方や求めている事が異なる事も事実です。

100人居たら100通りの生活があります。私達から見て豊かな生活を送っていると感じている人達へのインタビューを通して、豊かな暮らしを送るためのヒントを探っていきます。

  

WELL LIFE STYLE #04  大谷製陶所 大谷哲也さん

 1. ものをつくる人の暮らし

 3. 大切にする今とこれから 

  

滋賀県信楽町に同じく陶芸家の奥様:桃子さんと共に自宅・工房を構え暮らす、大谷哲也さん。現在は大谷製陶所としてお弟子さんを迎え、皆さんでものづくりを行います。


ご自宅での皆さんのお昼にお邪魔し、ご馳走をいただきながらお話を伺いました。
体に染み込むまで手を動かすという皆さんの姿、暮らしと密接に繋がったものづくりの現場を拝見しました。

 

  

体の一部となったろくろから生まれる形

ーー生活の道具として洗練された造形の器。
このようなものづくりへの取組み方は、どのようにつくられたのでしょうか?

 

ロクロをひいているのがとても好きです。
ロクロって楽器とよく似ていると思うんです。
ロクロをひく技術は、毎日同じものを淡々とつくる生活を何年もして習得したものです。プロの演奏家が楽器を体の一部として操り、唄うように演奏できるように、ロクロという道具は僕の体の一部となって、頭に浮かんだことが、時には何も考えていなくても、ただ息を吸って吐くように自然と形ができ上がってきます。こうして出来上がったこの造形物は、ある意味で抽象的なものであるはずの僕の感性(美意識)を、姿のある具体的な形として頭の中から取り出したものなのかもしれません。
そういう意味で、ロクロは僕の感性と直結した道具であると言えます。

 

 

 
スタイルに関しては、作家であれば誰しもが求めていくところだと思います。
作家のアイデンティティは、誰も手をつけていない空き地をみつけて、そこを自分の陣地にすることから始まります。
僕の場合、白、ロクロという限定された技法や表現にデザイン的な感覚(今の暮らし)を掛け合わせた場所を、まず自分の陣地とすることにしました。(大学生の頃からデザイン、クラフト、アートの境界線、重なりに興味がありました。そしてそこは国境の緩衝地帯のようなところで、まだ手つかずの場所が多く残る場所でした。)
ただ、そこに何があるかは掘ってみないとわからないのです。
10年ほどその場所を掘り進めていくと、狭いトンネルを這って歩くような閉塞感を感じ始めました。
なにしろ、白、ロクロなど、かなり限定的な場所でしたから…。
行き詰まりから、新しい釉薬の開発や(色物)、加飾技法、屁理屈も延々捏ねて5〜6年経った頃、ふと顕微鏡の対物レンズを切り替えたように、今まで狭いあなぐらだと思っていたところが、とても広くて多層的な場所であることに気がつきました。
その瞬間僕は大谷哲也ver.2.0になりました。
ほんの数年前の話です。

 

 

ーー「平鍋」は ふとしたきっかけで生まれたと、記事で拝見しました。
制作に至ったきっかけや経緯等はありますか。

 

窯業試験場に勤めていた頃、IH対応土鍋や軽量土鍋土の開発などを研究テーマとしており、土鍋用の土や釉薬の知識は、その頃に得たものが基本になっています


また、20代の頃から廣川純さんという土鍋を作る作家さんと親しくさせてもらっていて、彼が作ってくれる料理はそれまで僕が知っていた「いわゆる土鍋料理」とは違い、今の暮らしにあった僕たちの食べたいと思うもので、こんな風に土鍋を使っていいんだということを彼から教えてもらいました。

すぐに自分でも土鍋を作ろうと思い立ち、試験場で培った知識をスコップに、もうすでに作っていた白磁と同じ場所を掘り始めました。
そこで僕は、まだ当時皆さんが見たことのなかった、取っ手も蓋もない真っ白なスタッキングできる土鍋を掘り当てました。

 
最初は洗面器みたいとか、白だと汚れるからと敬遠されましたが、個展の際に家で数年使用している「育った土鍋」を一緒に展示するようになると、手に取ってもらえるようになりました。
当時、クラフトフェアなどにも出展していて、ものづくりをする出展者仲間からも多く支持を得られたことを覚えています。

 

 

ーー繰り返し行うことで「他のことを考えながらでもできるほど、研ぎ澄まされた動き」ができるようになると伺いました。
同じ形状をつくり続けることの大変さや楽しさなどについて、お聞かせ頂けますでしょうか?

 

先述の通り、このことは楽器やスポーツを習熟するのと全く同じことだと思います。
空気を吸って吐くように作られたものが持つおおらかさは、民芸や古道具のなかにも散見され、これまでも評価されてきたことだと思います。
一点もので緊張感のある作品も良いのですが、暮らしの中で毎日使うもの、特に道具性の強い土鍋には使い手が使ってもいいかもと思える「隙」のようなものが必要なんです。

 
弟子たちにも平鍋を作らせていますが、繰り返し同じものを作ることは、とてもいい訓練になります。
ただ残念なことに、焼き物の産地ここ信楽においても、ろくろで繰り返し同じものを作るような類の仕事はあまり多くはありません。
本来は作家になる前にしておきたいトレーニングを通過せずに、個展に向けて毎回違うものを期待され制作を続けていくことは、よほど才能のある人でない限り、最終的には創作の種のようなものが枯渇してしまうような気がしています。

 

「2. 体の一部となったろくろから生まれる形へ続く