WELL life style #04 fresco(フレスコ) 辻野剛さん<br>3-3. アメリカでの出会いと帰国後の生活

WELL life style #04 fresco(フレスコ) 辻野剛さん
3-3. アメリカでの出会いと帰国後の生活

性別、年齢、国籍を問わず、現代に暮らす人々が共通して抱いているのは、豊かな生活を送りたいという願望だと思います。ただ、その豊かさは人それぞれ感じ方や求めている事が異なる事も事実です。

100人居たら100通りの生活があります。私達から見て豊かな生活を送っていると感じている人達へのインタビューを通して、豊かな暮らしを送るためのヒントを探っていきます。

 

  

 

 

 

アメリカでの出会いと帰国後の生活

大阪府和泉市に工房を構える、ガラスメーカーfresco(フレスコ)。
吹きガラスの技法を用いた器は、一つ一つ手作りです。工房内では、基本的に二人一組、それぞれのチームが溶解炉から溶けたガラスを巻き取り、下玉と呼ばれる小さな玉を作るところから、息を吹き込み成形、何度も窯と作業ベンチを行き来しながら、仕上げまでの全工程を行います。


代表の辻野さんが、ガラスに魅せられ学び、frescoを立ち上げ、現在もチームで続けるものづくり。今回は、辻野さんが国内外でガラスを学んだ当時のことや、frescoへの想い、frescoのプロダクトやものづくりへの考え方について、また和歌山県白浜町に設けた新たな工房CAVO(カーヴォ)と取組む、新たな挑戦についてなど、3時間にわたってお話を伺いました。

  

 

 

アメリカでの生活と仕事

ーー吉田:カリフォルニアには、どのくらいの期間行かれていたんですか?

 

行ったり来たりしていました。ワークショップを受けて、最初はカリフォルニア・カレッジ・オブ・アーツアンドクラフツ(現在は、カリフォルニア・カレッジ・オブ・アーツ)に行きたかったんですよ。
それで学校に話を聞きに行ったら、当時1ドル/240円だったので、1セメスターが7,400ドルって言われて。それでもう無理だと折れました(笑)

そこを出た少し先輩の知り合いがいたので、いけるかなと思っていたのですが(笑)

 

ーー一同:なるほど(笑)

 

それで、アメリカはワークショップを受けられるところは沢山あったし、好きな作家さんのものが受けられるので、そちらへスイッチしようと。
ワークショップを受けて、お金が無くなったら日本に帰ってバイトを掛け持ちして、お金が貯まったらまた行くというようなことをしました。行ったり来たりして、向こうへ滞在したのは5年半程ですかね。最後は、カリフォルニアとフロリダで働いていました。日本へ引き上げたのが91年の湾岸戦争の時ですから、もう随分前のことです。
 

ーー吉田:働かれていたのはガラス工房ですか?

 

そうですね。カリフォルニアの工房で働いたのですが、そこの工房の親父が典型的なヒッピーで。ある時突然、これから最終的に住む土地を探しに行くと言い出して、工房を閉めることになりました。

 

当時ノースカロライナの学校で仲良くなった人が、バケーション代わりにワークショップを受けに来ている人で。フロリダにある、酸素ボンベの酸素を浄化するフィルターを作る会社の社長さんでした。

嘘みたいな話ですが、カリフォルニアの工房を閉めると言われたその日に、フロリダの社長から電話がかかってきて「工房できたからガラス吹きに来いよ」と。

それでフロリダに行って働きました。 

 

 

 

帰国後の生活とfresco立ち上げの理由

91年ですね。日本はもう少し呑気な雰囲気だったと思うんですけれども、湾岸戦争が始まって、アメリカが兵隊を送り出しました。すると、急に贅沢ムードじゃなくなって、緊縮になっていった。
メインのビジネスも危ういので工房は閉めることになり、仕方がないので僕も日本に帰ることにしました。

 

日本に戻ると、ガラス工芸で食べている人は誰もいなくて。

普通に新聞広げて、リクルートですよ。少し英語ができたので、英会話ができる人、みたいな募集にスーツで面接を受けて、海外営業の仕事を2年半ほどやりました。

 

ーー吉田:その時はガラスは?

 

全然やっていなかったですね。

最初は海外営業で雇われました。クリップやシーリングという、自動車やベッドのスプリングバーを留める部品を取り扱っているところで、自動車を作るところへは色々行きました。
徐々に円高になっていき、そのうち外国が日本製品を買えなくなりました。それで国内営業ばかり行かされるようになって、つまらなくて。

その会社は、メーカーでも商社でもあったので、海外から機械を輸入したりもしていました。ドイツ製のアルミ加工機械も扱っていたので、会社を辞めて、自分でそれらの輸入業をやろうかなと考えていました。

 

そしたら、またある日突然。学生時代にお世話になった先生に、まだガラスの仕事に興味あるかと言われて。
今frescoがある大阪府和泉市の海側の方に、色ガラスを作っている工場があるんです。先生がそこの製品をアメリカに売り込もうと見学に行くと、吹きガラスの設備があったと。色ガラスの工場で使うものではないので社長に尋ねたら、設備はあるけれどガラス作りができる人がいないということでした。

 
先生に引き合わせていただいたその工房では、5年間、教える仕事を中心にやりました。吹きガラスができる場所があまりなかったので、講座のウェイティングリストに常に十何名か名前があって、とても人気があったんですよ。

自分の作品も作らせてもらったりと、結構好きなようにやらせてくれました。在職中には、アメリカのニュージャージーに大きなガラスのインダストリーがあって、アーティスト・イン・レジデンスとしてそこで奨学金をもらって制作ができるプログラムに応募したら通って。3ヶ月間仕事を休ませてもらって行ったりと、自由にやらせてもらって。それで自由にやりすぎて、ある日、雇ってもお金にならないからやめると社長に言われました(笑)

 

ーー一同:なるほど(笑)

 

その時30代半ばだったので、また営業の仕事に戻ろうかと悩む場面もありました。
でも、できるようになるまで時間のかかる吹きガラス講座に通ってくれた人の、
作る場所を奪ってしまうことが申し訳ないと思い、frescoを始めることにしました。

だから、自分の作品を作ることと、講座に来ていた人たちが作る場を用意するという、2つの目的があったんです。

  

 

 

fresco工房と住居づくり

工房は住居も併設していて、そこを作るのに2年半かかったんですよ(笑)

 

ーー村上:結構DIY率高いですよね。

 

高い(笑)

友達の大工さんにこんな風にしたいと相談すると、4人で1ヶ月だと言われました。だったら、素人でも半年あればできるんじゃないかと思って、僕一人でやり始めたんです。

だけど、教える仕事を2件やっていて、週2日は必ずそちらに費やすので、蓋を開けてみると、2年半かかっていて(笑)

 

ーー村上:でも出来上がったってことですよね、すごい…!ここ(白浜の工房/CAVO)は違いますよね?(笑)

 

ここは、前例があるので工務店に頼んでいます(笑)

和泉の工房(fresco)は、コンクリートの外側部分だけある状態で。中身だけ手を加えたのですが、扉とかも含めて全部自分で作ったので、それは時間がかかるわけで。こだわりがひどいんでしょうね。

 

ーー村上:何度かお邪魔しているんですけれども、ご自宅は工房の裏側にあるということですか?

 

現在のギャラリースペースです。あそこがリビングだったんですよ。お手洗いもあって、その横はお風呂。今はバックヤードみたいになっていますが、玄関入って正面のところはキッチンでした。2階は寝室として使っていました。

  

   

最初はそうやって家として使っていたんですけれども、作ったものを見せる場所が必要だというので、1階部分を明け渡して、住む場所は2階だけに。子供が小学校に上がるタイミングで、隣町に中古の家を買って引っ越しました。

 

ーー村上:あの部分、辻野さんが作ったんだって知ってからみると、感慨深いですね。

 

あそこ元々は、プラスチックのリサイクル工場だったんです。建物の裏側にプラスチックを粉砕するクラッシャーがあって、鉄骨組の上にはホッパーがありました。プラスチックを粉砕して溶かして、インゴットを作る機械があったんですね。行った時は、その鉄骨がオイルまみれで撤去しようと思ったのですが、それも大変だというので、全部シンナーなんかで拭きました。

 

  

 

天井が低いのも大変でした。普通は30cm程上げてから、大引という太い基礎を入れて、その上に根太を置いて、板を引いて、というようにやっていくのですが、天井が低いから床が上げられない。コンクリートの上に細い木を並べて、百何十ヶ所、一つ一つレベルを出して、板を貼っていきました。

 

ーー吉田:それだけでも大変そうだし、時間もとてもかかりますね。

   

数十年前なので、レーザーの水平器なんかもありましたが高価で。レベルを出すのも、水を使っていました。

  

 

 

ーー吉田:またアメリカの話になるけれども、お話を伺っていて、アメリカンカルチャーというか、do it yourself 的な感覚をずっと感じていました。ペンキ塗りのアルバイトの経験も含めて、アメリカ西海岸の方とか本当に全部やっちゃうじゃないですか。

 

そうそう。みんなやっているし別にそこのハードルは高くなくて、まあやれるでしょうっていう感じ。

 

 

「4. 白浜でのビジョン」へ続く

 

  

 

 

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